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6日目:7月17日(木)

AM5時、キャンプ場の朝です。朝もやがかかっています。Kハル氏、寝起きでボーっとしています。

幕営は楽しいのですが、撤収~バイクへのパッキングは結構大変です。全部で1時間半近くかかってしまって、大汗をかきながらの作業となります。

稚内森林公園キャンプ場の駐車場には、たくさんのキャンプ仕様の車が止まっていました。この改造した軽トラックもそうです。

埼玉のおじさんが愛犬と一緒に全国を回り、約1年半だそうです。

荷台はこのように改造され、十分になることができます。仕事が始まるそうで、ぼちぼち流浪の旅も終りだそうです。
自分もいつかはやってみたいなぁと思いました。


国道238号線を宗谷岬方面に機首を向け、声問、川尻を抜け、宗谷村の郵便局の裏手からはじまる”白い道”にやって来ました。貝殻が敷き詰められた道なので”白い道”と呼ばれています。天気が曇りだったので、ちょっと残念なのですが、晴れていると、空の青、海の青、牧草地の緑、そして道の白のコントラストがとてもきれいなのです。

”白い道”を後にし、一旦宗谷村の郵便局付近まで戻り、国道238号線をさらに北上し、途中から道道899号線を右折し”宗谷丘陵”に入ります。氷河期の地形そのままの原野を活かし、広大な牧草地となっています。その間を縫うように道があり、最高のロケーションです。
そして宗谷丘陵の先にこの公園があります。
明治8年に建設された旧日本海軍の海軍望楼です。ロシアからの北の備えを司っていました。


日本最北端 宗谷岬です。ここに来ると、ダ・カーポの名曲”
宗谷岬”が流れています。最北端という魅力は僕にとってはかなり強く、いつも引き寄せられてしまいます。「ここまで来たか」これまでに何度ここに来て同じ感情に浸ったことでしょう。いわゆる”端っこ”がすきなのですが、東西南北あるうち、やはり”最北端”が最も好きです。

宗谷岬のお土産屋さんで、”宗谷岬”のステッカーをたくさん買いました♪ もちろん最北端到達証明書もです♪

当時の気温は17.8℃、最北端は寒いですねぇ。同じころ、横浜では最高気温34℃でした。バイクなので着ている装備も相応の準備をしてきています。

と、いうことで、暖かい”ホタテラーメン”を食べました♪ うまし!!!
ラーメンで体も温まったし、そろそろ出発です。
最北端まで来てしまったので、”南下”です。国道238号線をオホーツク海沿いに下って行きます。この道も何度走ったことでしょう。バイクで車でそしてバイクで。左手にはオホーツク海、右手には原野、ひたすら変わらない景色を延々と続きます。が、かなり退屈だったりするのでついついスピードも上がり気味。交差点もないし、信号なんて街の中に入らないとないです。パトカーにも居眠り運転にも注意です。

宗谷岬から約40km、猿払村を抜け、浜猿払から漁港を目指し、国道238号線をさらに海岸に近い道を選びます。そう、通称”エサヌカ線”と呼ばれる北海道でも3本の指に入る、「これでもかー!!」というほど北海道な道を選びます。

まっすぐで、他はなーんにもありません

Kハル氏、かなり重たいようで、思ったほど跳びあがれません。。。。クククク、、、、

重たっ! あ、でもこれかなり跳びあがって着地するタイミングです

クッチャロ湖です。ここでKハル氏とはお別れです。Kハル氏は内陸を目指します。僕はこのままオホーツク海を南下します。お互い気をつけて行こう!


代わり映えのない道を延々と進みます。超眠くなります。なのですが、さっきから左目がゴロゴロして異物感極まりなく、視界も悪くなってきました。これはおかしい、、、、。だんだん走行にも支障が出てきたので、病院を探して行くことにしました。スマホで探してみても近隣の町には眼科がないようです。仕方がないので、一番近い町の大きめの病院に行くことにしました。っていっても一番近い町はあと50kmはありません。。。


興部町(おこっぺまち)にやってきました。ようやくです。目指すは興部国保病院です。

これかな?ようやく着いたようです。


受付の女性に聞いたら、眼科はここから更に50km離れた紋別市か、150km離れた旭川市のいずれかしかないようです。「外科でもいいです?」ということだったので、外科で診てもらうことにしました。中は殆どご老人の方々で、頭をバンダナで覆い、プロテクターを外したもののそれなりの厳つい格好をした見慣れない巨体が院内を歩いているので、物珍しくジロジロ見られてしまいました。。相当な違和感があったのでしょうね(笑)
外科の先生に診てもらった結果、虫が目に入って外に出たものの、その衝撃で少し傷がついたとのこと。眼は充血して真っ赤なようですが、特に異常はなく良かった!

で、またガンガン南下して行きます。湧別町あたりまで来た時、向こうから一台、見覚えのあるバイクが走って来ます、、、、、

KMT50氏でした!!上士幌町の航空公園キャンプ場で別れて以来なので、4日ぶりの再会です。道東方面から北上してきたそうです。今日は湧別付近のキャンプ場に幕営するようです。

ちょっとだけ立ち話をして、別れました! じゃねー!

湧別町にある旧国鉄 湧網線 中湧別駅に来ました。ここは駅舎も、列車も保存されています。



湧網線は、網走~中湧別までの89.8kmをつなぐ線路でしたが、昭和62年(1987年)3月、廃止となりました。1985年9月にこの駅を訪れていて硬券を買ってました。良かった♪

湧別から約20kmにあるサロマ湖の道の駅付近に、”北勝水産”という水産物や水産加工品の工場兼お店があります。

生きたエビを生で食べることができます!1尾200円くらい!残酷な感じですが、うまかった!!!

本当はお目当てはこっち、ホタテバーガーです!これもうまい!!でも、もう夕方、今日は幕営ではなく”とほ宿”に泊る予定なのであまり食べると夕食に響いてしまいます。


今夜はここ、”
旅人宿さろまにあん”に泊ります。サロマ湖畔にある、ライダーには有名な宿です。オーナーさんもライダーなのでバイク旅の情報も満載の宿です。

とてもとても暖かい、夕食でした♪ 今日の同宿者は5人で1人以外はみんなライダーです。不思議なことにみんなおじさんばかりでした(笑)
7日目につづく・・・・
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5日目:7月16日(水)

”びふか温泉”で朝食を取り、いつもよりゆったりめに出発しました。国道40号線を北上し、最初にやってきたのがここ、JR宗谷本線 音威子府駅(おといねっぷ)です。音威子府駅は、旧国鉄時代は宗谷本線と天北線(てんぽくせん)の分岐駅でした。その後天北線は平成元年5月に廃線となってしまい、分岐駅としての役目は終わりました。駅の中には天北線資料館があります。ちなみに音威子府駅のある音威子府村は、総人口817人で日本で最も小さい自治体だそうです。

駅前には、昭和30年代を思い出させる(生まれてないじゃん)風のお店ありました。あ、今はやっていないようですね。。。

”ガーン!!”
目当ての駅の中にある”音威子府そば(常盤軒)”は水曜日が休みでした。。。食べたかったなぁ。。。
音威子府駅を後にし、ふたたび国道40号線を北上します。

宗谷本線の現役の駅ながら”秘境駅”と言われる”雄信内駅(おのっぷないえき)”です。
雄信内駅は、北海道天塩郡幌延町大字雄興小字雄信内にあります。北緯44度54分・東経141度56分の地点です。







この駅の周辺は廃屋と、雑草が生い茂る原野しかありません。この駅で下りたら、どこに行くのでしょう。。また利用している人はいるのでしょうか。そのような感じです。ウィキペディアの説明でも「駅前には廃屋が多く、全く人が住んでいない」とあります。
幌延町雄興(ほろのべちょう ゆうこう)自体が高度過疎集落でもあります。

おや?学校の跡のような空き地があります。学校の入り口と校名表示だけが残っています。雄信内から徒歩5分位のところです。

かつて、雄信内小学校があったのですね。雄信内小学校は1982年3月31日に廃校になったそうです。


”閉校記念碑”が建てられていました。昭和40年代の集団離農により集落がなくなり、そのため閉校になってしまったようです。離農の背景には厳しい自然環境があったようです。

幌延町に来たことだし、今日は稚内に幕営することにしていたのであまり走りません。時間はたっぷりあります。せっかくなのでいつも素通りしていた”トナカイ観光牧場”に来ました。お客さんはいませんね。。。
幌延町から豊富町を駆け抜け、サロベツ原野まで来ました!天気は残念ながら厚い雲が覆っていましたが、サロベツ原野はサロベツ原野です。ここに来るといつも「帰った来たぞっーー!!!」とつい大声で叫んでしまいます。アドレナリンが大量放出状態です。なぜなのかわかりませんが、おそらく前世とかで由来があるのでしょう。三浦綾子の小説「天北原野」のまさに舞台でもあります。
6月のサロベツ原野に咲くエゾカンゾウの黄色い花がとても好きです♪

サロベツ原野を日本海に向かってグングン加速させるとこの標識にぶつかります。そう”稚咲内(わかさかない)”の交差点です。
この交差点を左に行けば天塩方面へ、右に行けば抜海を抜けて稚内に行けます。五感が研ぎ澄まされます。北海道の中で最も好きなエリアなのです。

オトンルイ風力発電所です。オトンルイとかオントルイとかググってみると両方でてきますが、幌延町のHPにはオトンルイとあるので、こちらが正解なのでしょう。稚内まで約43㎞。ガソリンがもたないわけではないけれど、安全をみて満タンにしておきたいので、一旦天塩町まで下り、ガソリンスタンドに寄ってから再び道道106号線を北上し、ここまで来ました。
そろそろお昼です。今日のお昼は初めから決めていました。トナカイ観光牧場では、自家製パンを作って売っていたので、そのおいしそうな匂いに負けてしまい、パンと牛乳を買っていたのです。で、ここ”サロベツ原野駐車公園”にバイクを止めて食べようと考えていました。
サロベツ原野の広大な湿原と日本海、最高の景色を楽しみながら、おいしいパンを食べる。自分以外には誰もいない。この最高に贅沢な空間と時間、たまりません!!!なんて浸っていると、、、、
「ブォーーー!!!!」とどこかで聞いた大きな排気音。。目の前で少しスピードを緩め、見渡したような感じであったものの、僕がいるのには気がつかず、そのまま再度加速して北上していく大型バイク1台。日本平和パトロール隊爆撃隊長のKハル氏でした。
「おい!Kハル!!」と叫んで見てもヘルメットしてるし排気音で全く聞こえていないようでした。お昼も済んだ後だったので、追いかけてみました。おそらく、この先の”北緯45度の碑”のあたりで止まるはずと睨んで。

予想通り!!!やっぱり”北緯45度の碑”に止まっていました!4日前に苫小牧港で別れたKハル氏です。

お決まりですね!たぶん来年の年賀状になるのではないでしょうか(笑)
せっかくなので、今日は行動を共にすることになりました!



Kawasaki ZZR1200とSuzuki Bandit1250sの2台は、北海道随一の直線道路、道道106号線をガンガン北上します!すれ違う車がほとんどありません!途中、小鹿が道の真ん中から動かないというラッキーな遭遇もありました♪

で、やってきたのが、鉄道ファン憧れの秘境駅、”抜海駅”です。

抜海駅は、クマザサに覆われた無人の荒野の中にあります。駅前には原野と牧草地が広がり人家や店はありません。少し離れたところに抜海港という港があり、かつては採れた魚を輸送する手段として使われていました。
抜海駅を後にした2人は、稚内に入り、今日の幕営地である稚内森林公園に来ました。まずはテントを張り、その後にちょっと観光とお風呂にしようという感じです。この稚内森林公園キャンプ場、施設も整っているのに無料なんです!!
この森林公園内には”開基100年記念塔”があり、史実がたくさん公開されていて見入ってしまいました。見学したのは5回目ですが、何回見ても見入ってしまします。
この後、稚内副港市場にある温泉を楽しみ、ついでに夕食を済ませ、キャンプ場に戻って、飲み始め、寝ました。
ひとりもいいけど、仲間と一緒もいいですね!!
6日目につづく・・・
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4日目:7月15日(火)その1

AM4時半起床!航空公園キャンプ場は霧に包まれています。
今日は、ひがし大雪自然ガイドセンターの”タウシュベツ川橋梁早朝ツアー”に参加します。
なので、早起きです。AM5:30に糠平にあるセンター前に集合です。

セイコマで買った、”でっかいつぶあんぱん”とコーヒーの簡単な朝食です

原生の松がすごいです。エゾ松だそうです。

糠平湖が見えてきました!雑草が生えているところは、湖底なのです。

向こうに見えるのが、タウシュベツ川橋梁です。しかし、この時期に湖底が見えるのは18年振りだそうです。

こうしてみると、ここが湖底であることが分かりやすいと思います。

徐々に霧が晴れてきました。霧の原因はここ、糠平湖の湖水だそうです。
霧が晴れてきて青空が覗いてくると、湖面にタウシュベツ川橋梁が写ってみえます。ガイドセンターの方によると、早朝の風がないときではないと、湖面に映ることはないそうです。これもラッキーでした。

いつの間にか、雲がほとんどなくなりました!前回(2008年8月)は曇っていたので、とても感激です!!しかも湖底が見えるなんて。

こちらは、2008年8月31日に訪れたときのタウシュベツ川橋梁です。この写真と比べても、今年の水量が如何に低いかわかります。糠平湖は電源確保のみを目的とした人造湖(ダム)なので、今後の電力量が少々心配ではあります。
<タウシュベツ川橋梁のうんちく ウィキペディアより>
もともとは、旧国鉄士幌線(1987年(昭和62年)廃線)が1939年(昭和14年)に十勝三股駅まで開通した際に、音更川の支流であるタウシュベツ川に架けられたものである。1955年(昭和30年)に、発電用人造ダム湖である糠平ダムが建設され、橋梁周辺が湖底に沈むことになったため、士幌線は湖を避けるように新線が引かれた。その際に、橋梁上の線路は撤去されたものの、橋梁自体は湖の中に残されることとなり、現在までその姿をとどめている。
糠平湖は人造湖であり、季節や発電によって水位が劇的に変化するため、橋梁全体が水に覆われてしまう時期もあれば、水位が低くなって橋梁全体が見渡せる時期もある。その様子から、「幻の橋」とも呼ばれる[2]。
タウシュベツ橋梁は、それを取り巻く糠平湖の水位によってその姿を大きく変える。降水量等に多少左右されるものの、概ね次のような推移をとるようである。
- 3月 - 5月頃:ほとんど水位ゼロとなり、橋梁全体が見渡せる。湖底には、ダム湖建設の際に切り倒された木の切り株が見える。
- 5月 - 6月頃:雪融け水が流入するため、徐々に水位を上げ、橋梁の下半分が水に覆われる。「めがね橋」に見える可能性あり。
- 6月 - 9月頃:さらに水位を上げ、7 - 9割が水に覆われて線路敷設部周辺のみが覗く。若干の勾配があることが、観察できる。
- 9月 - 12月頃:大雨が降るなどすると、完全に水没することもある。
- 12月 - 3月頃:氷が張る。発電用に水を抜くため、日に日に水位(氷面)が下がり、氷面を突き破って橋梁が現れる。冬期は一貫して水位が下がっていく。
このようにかなり傷んでいます。コンクリートで作られていますが、経費を節約するために、周辺にあった多くの石や砂利を使ったそうです。

反対側の湖底に下りてみました。このタイミングで来れて本当にラッキーでした。

2003年の十勝沖地震で崩れてしまったそうです。修復・保存も検討されたそうですが、コストが莫大で、新たに作るよりも掛かってしまうそうです。なのでいつ倒壊するかわかりません。まさに”滅びの美学”ということですね。

霧が晴れたお陰で、正面にウペペサンケ山が見えてきました。


十分に見学したあとは、ヒグマの視線を感じながら(?)、元来たけもの道を引き返します。

ツアー参加後、いったんキャンプ場に戻り、テントを撤収した後、再び糠平にやってきました。

上士幌鉄道資料館です。ここには、旧国鉄士幌線の数々の資料が展示されています。

この資料館は、もともと旧糠平駅を改造したものです。北海道内には多くの廃止線があるのですが、なぜかこの士幌線に惹かれます。。

糠平を後にし、国道273号線を三国峠方面に機首を向け、しばらく走ります。すると右側に”三股山荘”があります。ここもぜひ寄ってみたいポイントのひとつでした。

ここは、士幌線の終着駅”十勝三股駅”があった場所なのです。十勝三股駅は士幌線の中でも士幌線全線の廃止(1987年3月)に先駆けて、1978年12月には、糠平駅~十勝三股駅間はバスによる代行運転になったのです。もともとは東大雪の豊富な木材資源を帯広まで運ぶために鉄路が敷設されましたが、時の流れとともに、1500人の居住があった十勝三股も1977年には5世帯14人まで落ち込んだことによります。
その際、この山荘のオーナーがバスの運転手をされていました。

山荘の中はこのような感じで、カフェになっています。往時の士幌線の歴史に関する資料や模型が並んでいます。

十勝三股駅のデッサンです。駅舎の両側に木が立っています。

”牧場のビーフライス”を注文しました♪

正面の2本の木の間に駅舎があったそうです

この道は線路跡だったのでしょうか。。。
ここ、十勝三股にも短い夏がやってきました。。。。
4日目その2に続く